変化し続ける相模大野
こんにちは。制作部のHAです。
ついに伊勢丹
相模原店が閉店してしまいましたね。相模大野のランドマーク的な存在であったのに、ほんとに残念です。しかし29年もの間、相模大野の顔としてがんばっていただいた従業員の方々、関係者の方々には感謝の気持ちしかありません。長い間ありがとうございました。開業当初はドラマの舞台となったため、よくロケをしているのをみました。あの頃は芸能人の方を、週に何度か御見掛けすることもありました。夜、偶然会ったりすると、ほんとにロケしてるんだなと当時は驚いてみていました。
私は地方出身者で、伊勢丹が出来る少し前より相模原市の住民となりました。何となく覚えているのですが、伊勢丹の場所はブロック塀のようなもので囲まれていたような気がします。中は何だったのだろうと思うこともありましたが、当時はあまり関心がありませんでした。調べてみると、伊勢丹を含めロビーシティ、相模大野中央公園などの土地は米軍医療センター、つまり旧日本陸軍の相模原陸軍病院だったんですね。そういえば、相模大野駅も元々は『通信学校駅』だったし、軍都らしくそういう施設が街にたくさん残っていたんですね。
思えば、相模大野も住み続けている間にずいぶんと変わりました。最初に駅に降り立ったときは、「駅前なのに更地のような駐車場が結構あるなぁ。」と感じたのを思い出します。今では相模大野駅も駅ビル『ステーション・スクエア』になり、大野銀座を含めた一角がボーノ相模大野になりました。
相模大野といえば、TAHARAレコード、Booksアミ、西友、レモンパイの時代だった私にとっては、まさか再開発でこんなに様変わりするとは考えてもみなかったです。その再開発の先駈けにあたるのが伊勢丹であったと思います。
伊勢丹相模原店は思い出に変わってしまいますが、今後も相模大野はより良く発展していくと信じています。新たなランドマークの誕生を期待します。
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